「木村育生」という名前を聞いたことがある人はいますか?
一時期は球場の命名権も購入していた人物なのですが、その詳細はこちら。
この方は株式会社クロスチェックという企業を創業した人物としても知られています。
今回は、木村育生氏がこれまでにどのような人生を歩んできたかまとめます。
木村育生氏の学生時代は?
木村育生氏は、1958年7月8日に東京都で生まれました。
1982年には、慶応義塾大学商学部を卒業し、
その後すぐにアメリカのミシガン州立大学へ留学しています。
ミシガン州立大学は、アイヴィー・リーグ大学レベルの教育を受けられる
パブリック・アイビー(Public Ivy)の1つとして知られています。
産業心理学やサプライチェーン・マネージメントに関する教育が特に優れていますが、
幅広いフィールドで活躍できる人材を輩出している大学として知名度が高まっているのです。
ミシガン州立大学でレベルの高い教育を受けた木村育生氏は、
1984年にテキサス州ヒューストンにある貿易会社に入社しました。
慶応義塾大学商学部やミシガン州立大学で学んだことを活かせる分野だと考えたのでしょう。
Contents
日本へ帰国後は?
テキサス州ヒューストンの貿易会社に入社した木村育生氏ですが、
1985年2月には日本に帰国しています。
帰国と同時に株式会社I.Q.Oを設立、自身が代表取締役に就任しました。
1992年に株式会社I.Q.Oはゼネラル通信工業株式会社へ、
2001年にはさらに株式会社インボイスへと社名を変更しました。
2005年には株式会社ダーウィン(後のインボイスRM)の
代表取締役会長にも就任しています。
同年10月にはソフトバンクとインボイスの合弁会社である
日本テレコムインボイスを設立し、代表取締役社長に就任しました。
そして2006年9月にインボイスがダイナシティを買収し、
ダイナシティの代表取締役社長にも就任したのです。
翌年にはダイナシティの取締役会長に就任することになりました。
インボイスは2010年のMBOをきっかけに全ての役職から退任し、
2011年3月にはインボイスを退社しています。
インボイスを退社した後は?
インボイスを退社した後は、
2011年8月に自らの資産管理・運用のために設立した有限会社木村育生を
イコールパートナーズ株式会社という社名に変更しました。
2012年3月には、すかいらーくへTOBを行うことで、
株式会社小僧寿しの株式を取得しました。
そのタイミングで株式会社小僧寿し本部取締役及び社長に就任したのです。
同年8月末日、イコールパートナーズ株式会社は
株式会社小僧寿しの親会社からその他の関連会社へと変更されています。
そのため、議決権数は52.6%から37.8%へと減少することになりました。
この変更による業績への影響はありませんでしたが、
イコールパートナーズ株式会社がその他の関連会社になることで、
非上場の親会社には該当しなくなります。
したがって、開示対象ではなくなったのです。
2013年10月には株式会社小僧寿しの社長を辞任し、
翌年4月~6月の間に株を売却しています。
この情報は、東洋経済新報社四季報2014年4集に掲載されていました。
2014年11月にクロスチェックを創業しています。
2016年6月にクロスチェックがMOBを行い、
親会社であったスターティア株式会社から独立しています。
木村育生氏の過去をまとめてみましたが、
様々な企業に関わっていることが分かりました。
大学を卒業後まもなくテキサス州ヒューストンにある貿易会社に入社しますが、
すぐに帰国し、会社を立ち上げています。
若くして起業家となった木村育生氏だからこそ、
これまで多くの企業のトップに立てたのではないかと考えられます。